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ある経済誌に掲載されていたのですが「ヤオハンが初めての海外出店の際に、経済協力開発機構(OECD)から協力を得た」とあります。このOECDを利用するときにどのような苦労がありましたか?(33歳・福岡県・会社役員)
今考えてみても、それはもう大変でした。ヤオハンが最初に海外出店したのはブラジルだったのですが、当時日本のスーパー業界で海外進出をしている企業がなく、私共ヤオハンが最初の企業でした。日本の流通業界の方が誰もやらなかったことです。
海外進出するというと国内で大成功を収めているように感じるかもしれませんが、その当時ヤオハンはまだ国内に7店舗のみの出店しかしておらず、まだまだ中小企業のレベルでした。ですからOECD(経済協力開発機構)に協力を頼む前に随分他のところにも当たってみたのですが、どこもそんな企業にお金は貸してくれませんでした。それでやっと探し当てたのがOECDだったのです。ですが、OECDもメーカーならお金を貸すことは可能だが、ヤオハンはメーカーと違って物を売るだけで生産していなかったので不可能だと断られてしまいました。当時は、流通業の企業にお金を出したことがなかったんですね。
それから約一年間かけて、OECDに通い、関係書類を提出してまた調査してという繰り返しでした。そしてとうとう提出した書類は、床から天井に届くくらいの厚さになってしまったくらいです。OECDの方も熱意にかられて「これは出さざるを得ない」ということで、50万ドルだけ出してくれました。現在のお金で言えば約一億八千万円です。
ちょっと話はそれますが、その当時は本当にお金がなかったので、ブラジルへ行くのも移民船という船に乗っていったんですよ。今は考えられないでしょうけど、その当時はブラジルに移民して農業に従事する人が非常に多かったので、日本政府がお金を負担してブラジル行きへの船が定期的に出航していたのです。ですから私たちも、ブラジルに永住する気で社員10家族と一緒にブラジルの移民船に乗りました。向こうに到着するまでの50日間は、船の中で教育顧問の土屋先生からポルトガル語の研修を受けながらね。
そうまでして、必死にやったのは自分の夢だったからです。どんなに苦労があっても、「海外に進出する」という夢を実現させるという信念があったから、どんなに断られても一生懸命にやれたのです。
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